ウディ・アレンの重罪と軽罪

ウディ・アレンの重罪と軽罪は、1989年のアメリカ映画で
監督 ウディ・アレン
キャスト ウディ・アレン、マーティン・ランドー、ミア・ファロー、アラン・アルダ、キャロライン・アーロン、アンジェリカ・ヒューストン
眼科医のローゼンタールは、パーティーでスピーチをすることになり浮気相手のことが気になっていたのだ。彼女は妻に宛てて告白の手紙を書いていたのだ。一方売れない映画監督のジューダは売れっ子プロデューサである妻の兄のパーティにいやいや出席していて、そこで彼の密着ドキュメンタリーの監督をするよう説得されるのだが、彼はその仕事を軽蔑していたのだ。
日常に潜むさまざまな"罪"を描いたブラック・コメディ映画なのだ。ウディ・アレンらしい皮肉が洗練された形で表現された映画なのだというのだ。ウディ・アレンの傑作のひとつだというではないか。
序盤のストーリーの展開が非常にうまいと思うのだ。金持ちそうな老若男女が集まったパーティーのシーンから始まり、その主役であるローゼンタールの回想シーンに展開されている。そこで彼の悩みが明らかにされ、それでもうまくスピーチをさせて、彼のステータスと体面というものを重視する性格をさらりと表現しているではないか。場面は変わってウディ・アレンが登場してくるのだ。ふたりで座って、今回もロリコン精神むき出しかと思いきやだ。妻との会話で彼が売れない映画家督で、商業主義の妻の兄を嫌っていることを示すことで、ウディ・アレンの理屈っぽい性格を表現しているではないか。一連のシークエンスはあまり言葉に頼らずに舞台設定を見事に説明しているのだ。ウディ・アレンの映画という詩による比喩が持ち出されたりと言葉に拘泥するイメージが強いのだが、一流の映画の作家であるだけに、映像ありきなのだということがよくわかるのだ。姿勢は作品に一貫して見られるかもしれません。詩が持ち出されたり、わかりにくいジョークがあったりはするが、映像が雄弁に語り、表情で多くのことが表現されるではないか。
ストーリーは、ローゼンタールの物語とジューダの物語が描かれるようなのだ。基本的にはローゼンタールの物語が重罪さを、ジューダの物語が軽罪さを描いているということになるようなのだが、ふたりが最後に出会うとき浮かぶのはシニカルでブラックな片頬がぐにっと持ち上がるような笑いなのである。
ユダヤ教を前面に打ち出して、宗教的な罪と赦しを描くことで、ユーモアに昇華しているのだ。ローゼンタールが生家を訪れて昔の食事の風景を思い起こすところは、宗教的な罪と赦しというテーマなのだ。